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何かが足りない定期更新ゲーム雑記中心。 イタい? 中2病? 褒め言葉です。
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「ふぅ……ようやっと終わりましたか……」

 ジュリアはふぅとため息をついた。稲穂のようなその尾も、心なしかぐったりと垂れ下
がっているように見える。
 ともあれ、彼女はやるべきことをやり遂げたのだ。
 書庫の本棚は綺麗に整理整頓され、床には目立つゴミは全く落ちていない。
 途中で発見した“異次元からの漂流物”の処分が問題だったが、それは歩く焼却炉こと
“父上”に任せることにした。
 となると、残る問題はたった一つである。

「はーはーうーえー、そろそろ開けてくださいよー……」

 どんどんと書庫唯一の入り口と出口を兼ねた木戸を叩く。
 が、扉が開く気配は全くない。天の岩戸もかくやという具合である。
 ジュリアが書庫に閉じ込められてから、彼女の体感では一時間ほどが過ぎていた。

 ――おとなしく待つしかないですか……

 扉にもたれかかるようにジュリアは座り込んだ。
 いっそ扉を破壊してしまおうかという考えが彼女の脳裏を過ぎる。
 蹴破ることができる程度の扉であれば問題はなかった。しかしジュリアの家は、見た目
こそ古い邸だが、その実は“父上”の魔力と“母上”の職人技術によってとんでもない強
度を誇っているのである。
 扉一枚とはいえ、破壊するには相当な力が必要だ。

 ――母上、機嫌悪そうだったなぁ……

 さっぱりと諦めて、ジュリアは瞼を閉じた。
 去り際に見せた“母上”笑みを思い出し、ジュリアは身体を震わせた。
 目が笑っていない、どころか獲物を見つけた肉食獣の瞳からは、今夜“父上”が想像し
たくもないような目に遭わされることを容易に想像できた。

 ジュリアの“母上”は嫉妬深い。
 嫉妬と言えるのかどうか怪しいほどに嫉妬深い。
 “父上”が他の女性をするだけで眉をひそめ、手を繋ごうものならその晩は眠ることす
ら許してもらえない。
 その原因は娘のジュリアですら知らないが、過去に“父上”と何かあったことがその一
つではないかと彼女は睨んでいる。

 ――考えれば私、両親のことほとんど知らないんですよね……

 ジュリアはふと今までのことを思い返した。
 両親とは毎日顔を会わせ、言葉を交わす。けれどもその中に、果たしてジュリアが生ま
れる以前の事柄がどれだけ含まれていただろうか。
 などと彼女が考えていると、扉の向こうでがしゃんと何かが砕ける音がした。

「!?」

 慌てて身体を起こしたのとほぼ同時に、閉ざされていた書庫の扉が何事もなかったかの
ようにがらがらと横に開いた。
 床に散らばっている氷塊は、今の今まで扉を封鎖していたものだろう。音もなく消えて
ゆく無数の氷の礫。それを生み出し、そして破壊した張本人である“母上”は、穏やかな
微笑をジュリアに向けて立っていた。
 今度はちゃんと、その瞳にトーンがかかっていないなどということはなく、普段通りの
にこやかスマイルである。

「ジュリアちゃん、お疲れ様」
「は、母上……あれもこれもいきなりは止めてくださいって! 心臓に悪いです!」
「うふふ、ごめんなさい。悪気はなかったのよ?」

 そう言うと“母上”は、手にしていた紙袋を無理やりジュリアに押し付けた。

「書庫のお掃除ありがとうね。お詫びにこれをあげるから、許してちょうだい」
「なんです? これ……って、あっつぅっ!」

 紙袋の意外な熱さに驚いたジュリアだったが、なんのことはない、中に入っていたのは
ふっくら焼けた焼き芋だった。

「焼き芋ですか……石炭でも入ってるのかと思いましたよ」
「玉藻さんじゃないんだから、そんなことしないわよ」
「こほん! お茶と一緒に頂くことにします」
「それがいいわ。玉藻さんはまだお掃除中だし、ジュリアちゃんは先に食べちゃってて」
「じゃあお先に……」

 書庫を出ようとしていたジュリアの足がぴたりと止まる。

「どうかしたの?」
「いえ、別に大したことじゃないんですけどね」

 ――やけに“母上”の機嫌がいい。
 ふと気になったジュリアは“母上”に尋ねてみた。

「あの、母上? この時間はいつもなら紅茶に合うものなのに、なんで今日は焼き芋なん
ですか? わざわざ買ってきてくれたとか?」
「ん? 違うわよ。ちょっと落ち葉で焚き火をしたからそのついでに、ね」

 “母上”はにこにこと仏のように微笑み続ける。
 だがしかし、焚き火。火を焚く。お焚き上げ。
 猛烈に嫌な予感を感じながら、ジュリアはおそるおそる“母上”に聞いてみた。

「母上……その、“日記帳”はどうしたんでしょうか?」
「“日記帳”?」
「ほら、さっき母上が私から取り上げた……」
「あの古本なら、気持ちいいくらいによく燃えたわ。うふふ」
「あー……そうですか、はい……」

 嫉妬の炎で焼けた焼き芋は果たして美味しいものなのだろうか。
 何か呪いでもかかってたら嫌だなぁと思いながら、ジュリアは書庫を後にした。

 ――仕方ありませんね。夕食の後で直接父上に聞いてみることにしましょう。

 過ぎたことは仕方がないと、前向きに考えるジュリアであった――のだが。



 その夜、“父上”こと玉藻が倉庫から戻ることはなかった。
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★あらすじ★
年末の大掃除。九郎ことジュリアは地下書庫の整理を頼まれる。
あちらこちらが異空間に通じた危険な書庫だが、ジュリアは難なく整理をこなす。
作業を中断し、一休みしていたジュリアは一冊の日記帳を見つけた。
その日記に記されていたのは、“父上”の過去に関する出来事だった。
早苗という生け贄の少女と、九尾の狐、“父上”こと玉藻の物語。
物語を読み進めるジュリアだったが、その日記が“母上”に見つかってしまう。
内容を見た嫉妬深い“母上”は、日記帳をお焚き上げすると言うのだが……



 源九郎ことジュリア=ティーローズ宅……の地下書庫。
 ジュリアは見事に閉じ込められていた。

「母上ー、開けてくれませんかー……」

 入り口の扉をどんどん叩くが、何の反応もない。
 勿論引いてもびくともしない。
 全力で挑んでも、ただの扉がぴくりとも動かないとはいったいどういうことか。
 答えは扉の隙間から流れる冷気が教えてくれた。

「外側から凍結させるとか、ここまでやりますか普通……」

 いっそのこと爆破してしまおうかと思ったジュリアだったが、その後が恐すぎるので思
い留まることにした。
 以前、調理場を半壊させた時に受けた“お仕置き”から学んだことだった。
 結局のところ、ジュリアに選択肢は一つしかないのである。

 ――こうしていても仕方ないですし、全部済ませちゃいましょうか

 再び分身を作り出し、ジュリアは作業にとりかかる。
 分身の数は五つ。雑念の混じった今のままでは、同時に動かせる数はそれが精一杯だっ
た。

 ――よく考えれば私、“父上”と“母上”のこと、ほとんど知らないんですよね……

 後でさり気なく“父上”に聞いてみよう。
 心の中でそう決めて、ジュリアは意識を集中した。



 恐怖を克服する、最大の方法が何なのか知ってるかい。

 心が強くなればいい?
 恐怖を壊してしまえばいい?
 それとも恐怖から目を逸らすのかい?

 どれもこれも抽象的だ。そんなに難しい質問じゃあないぜ。
 簡単なことだ。自分自身が恐怖そのものになればいいんだよ。
 全てを灰にする炎が怖い? 炎は炎を恐れない。
 全てを巻き込む嵐が怖い? 嵐は嵐を恐れない。
 狩られる側から狩る側になればいい。たったそれだけのことだ。

 まーどういうことかって言えば、だ。逆に考えるんだよ。
 死ぬのが怖くない奴ってのは、最初から死んでる奴なんだってさ。





 ……結局のところは、玉藻の言う通りなんだろう。
 いや、言われるまでもなく理解はしていた。だから今、私は悩んでいる。

「んで、これからどーするんだい。早苗おねーさん」
「どーするってお前、どうしようも……」
「無駄死にするって言うんなら、僕が介錯してやるぜ?」

 玉藻の小さな右手が松明のように炎を灯す。
 神すら屠ったその業火は、きっと私を一瞬の内に灰へと変えるだろう。

「無駄死にって言うな」
「少なくとも、今早苗おねーさんが死ぬことには何の意味もないと思うけどなー」
「……それ、お前のせいでだけど」
「トゲのある言い方するなー。命の恩人なんだぜ、もっと優しく!」

 多分、玉藻の言っていることは正しい。
 今私が死んだところで、それは自己満足の無駄死ににしかならない。
 命を捧げるべき神が消えた以上、もはや私の死には何の意味もないのだ。

「今さら里に帰るわけにもいかないし、行く当てなんてどこにも……」
「なんだ。僕と同じなだけじゃん」
「……は?」
「僕も早苗おねーさんと同じなのさ。帰る家なんてどこにもないし、帰りを待ってくれる
相手もいない。天涯孤独の自由の身って奴なんだぜ!」

 それがどうしたと言わんばかりに玉藻は笑う。
 私はまだ、玉藻のことを何も知らなかった。
 だからと言って、知りたいとも思わなかった――けれど。

「玉藻」
「ん? どしたの?」
「お前は、何のために生きているの?」

 私の問いかけに、玉藻は鼻で笑ってこう応えた。

                                       』





「ジュ~リアちゃんっ、何読んでるの?」
「い゛にゃあっ!?」

 いきなりしっぽを抱き締められ、ジュリアは奇妙な悲鳴を上げた。
 一つのことに集中すると他に気が回らなくなるのが、自他共に認める彼女の欠点だ。
 いつの間にかやって来た“母上”の気配に、日記の世界に没頭していたジュリアは全く
気付いていなかった。

「は、母上っ!? いきなり何するんですかっ!」
「うふふ。差し入れ持って行くって言ったでしょ?」

 “母上”はジュリアのしっぽを気持ち良さそうにふかふかする。される側のジュリアに
とっては非常にくすぐったい。
 差し入れらしいオレンジケーキと紅茶の乗ったトレイが、いつの間にかジュリアの前の
床に置かれていた。

「ひっ、ひぃっ! そこは、そこっ! 駄目ですってば、ちょっと! あ、あぁー!?」
「ん……ふさふさしてて気持ちいい…………あれ? 何これ」
「あぅ、あぅ……え? そ、それはっ!」

 驚いた表紙に落としてしまった日記帳を、“母上”が拾い上げる。

「ジュリアちゃん、もしかしてえっちな本を見てた、とか……?」
「違いますっ! 父上と一緒にしないで下さいっ!」
「駄目。まだジュリアちゃんには大人の本はまだ早いと思うよ?」
「なんで息荒くして顔を赤らめるんですか!? そんな本じゃありませんから!」

 別に見られて困るような内容でもない。……性的な意味では。
 しかし面倒なことになるのは確実だった。

「ちょっとくらいいいでしょ? ……あら、本当に違うんだ。残念」
「残念って……ああもう勝手に見ないで下さいよ!」

 ジュリアの制止を無視して、“母上”は日記帳をぺらぺら捲る。
 読み飛ばしているわけではなく、速読術を身につけているのだ。
 そして案の定、ページを捲るにつれ“母上”の穏やかな笑顔に影が差していく。

「…………」
「あ、あの。母上?」

 ジュリアは“母上”のことを尊敬しているし、こういう立派な女性になりたいと思って
いる。
 だが、完璧な人間などいない。素晴らしい“母上”にも欠点はいくつかあった。
 “父上”と同じく性に奔放すぎる所がその一つ。
 そして――。

「ねぇ、ジュリアちゃん。この早苗って人、一体誰?」

 ぱたん、と日記を閉じた“母上”は素敵な笑顔を浮かべていた。
 擬音で表すならばにこにこと、しかしその背後には黒い炎が渦を巻いているかのような
錯覚すら見える。

「さ、さぁ……この日記は掃除の途中で見つけたもので、私は何も……」
「そうなんだ。……私も何も知らなかった」

 もう一つの欠点。それは、嫉妬深いという所。
 と言ってもそのレベルは並ではない。並は並でも嫉妬の深さがマリアナ海溝並みなのだ。
 実の娘のジュリアでさえ、時として嫉妬の対象になるほどである。

「…………」
「…………」

 沈黙が続く。
 やがて“母上”は日記帳を手にしたまま書庫の出口に歩き出した。

「それじゃあ、一休みしたら残りの掃除も頑張ってね」

 何事もなかったかのような振る舞いが逆に恐い。
 “母上”は普段は優しいが、一度怒ると“父上”とは比べ物にならないほど恐いのだ。

「えっと、あの……その本、どうする気なんでしょう」

 恐る恐る尋ねると、応えは満面の笑顔と共に返ってきた。

「お焚上げするんだけど?」
「はぁ、そうなんですか――ってええっ!?」
「そういや自己紹介がまだだっけか? 僕は玉藻。親しみを込めてお玉ちゃんって呼んでいーぜ!」

 少女が名乗った玉藻という名。それはかつて二つの国を滅ぼした、最も邪悪にして強大なる妖狐の名。
 まさかお前が、と聞いてみたら鼻で笑われた。

「んなわきゃねーよ。そんなエラい狐の名前なんだ。そのご威光にあやかって、狐の間じゃ今では珍しくもなんともないぜ」
「そういうものか。……ん? お前、狐の妖怪だったの?」
「そうとも僕は見ての通りのお狐様さ! こんこん、こーん!」

 ふわりと宙に舞い上がり、玉藻はすとんと私の目の前に着地した。
 当然だが朝に出会った時とは違い、今度はちゃんと服を着ている。
 と言っても腰にも満たない、やたらと派手な刺繍のある緑色の着物を一枚羽織っただけで、他には何も身につけてはいない。
 惜しげもなく露出した素肌には汚れ一つなく、絵で見た天女のようだった。

「んで、こんな所に一人でやって来るおねーさんこそ何者なんだい?」

 らんらんと輝く紅玉のような瞳が間近に迫る。
 気恥ずかしさから私は顔を逸らして答えた。

「私の名前は早苗。……こっちこそ聞きたい。お前がなんでこんな場所にいる?」
「お前、じゃなくて名前で呼んでくれないかなぁ早苗おねーさん」

 馴れ馴れしい笑みを浮かべて、玉藻はするりと私の腕にしがみつく。
 その身体は私よりも小柄で、暖かい。しかし腕に込められたその力は意外と強く、名前で呼ぶまで離してくれそうにはなかった。

「……玉藻」
「おーおー素直でいいね! 次は笑顔で玉藻ちゃんと呼んで――冗談だから睨むなよー!」
「別に睨んでない。私は元々こういう顔」
「笑えよ早苗おねーさん!」

 頬を両手で挟まれて、むにむに押し上げられた。
 たったこれだけの会話なのに、とても疲れる。一体なんなんだろう、こいつは。
 ……なんなんだろう。心の中のつぶやきに、「まさか」という疑問が浮かび上がった。

「まさか、お前が疫病神なのか?」

 玉藻は私の腕にしがみついたまま、きょとんと首をかしげた。

「あっれー何その言い方。もしかして僕、喧嘩売られてんのかなー?」
「……やっぱりそんなわけないか。お前みたいなのが神様だなんて」

 心底私の言葉の意味がわかっていない様子の玉藻に、私は一から説明した。
 里のこと、慣習のこと、巫女のこと、疫病神のこと――
 ちなみに玉藻は聞き手としては最悪だった。
 何度も話を遮られ、身体を撫でまわされ、興味なさそうに変な踊りを踊られたりで、何度その無駄に多いしっぽをひっこ抜いてやろうかと思ったことか。

 ともあれ努力の甲斐あって、玉藻は事情を理解したようだった。
 顎に手をあて、うーむと唸りながら、輝く九つのしっぽをはたきようにぱたぱたと上下させる。
 何か考えているようだったが、その内容までは想像できない。
 しばらく待つと、やがて玉藻は口を開いた。

「なーるほどね、でもそりゃ多分もう無理だぜ早苗おねーさん」
「無理? 何のこと?」

 玉藻との会話でどっと疲れた私は、その言葉の意味を理解できなかった。

「何がって聞かれりゃあ、そりゃ“全部”だ。まぁそうだな――ところで僕の後ろを見てくれ、こいつをどう思う?」

 どこか愉快そうな声色で玉藻が指差したのは、出会った時に立っていた、よくわからない炭のような物体の山。

「どうって言われても、ゴミの塊にしか見えない」

 薄暗がりの中では、“それ”が一体何なのか、私には見当すらつかなかった。
 正直にそう応えると、玉藻はけらけら笑って言った。

「ヒャッヒャ! ゴミの塊か! そりゃ傑作だぜ早苗おねーさん!」

 玉藻がぱちんと指を鳴らした。
 するとそれまで洞窟の中をゆらゆら揺れていた無数の炎が、光に群がる虫のように、私たちの周りに集まってきた。
 一つ一つは淡い光が幾重にもなって、私が言った“ゴミの塊”を照らし出す。

 蛇だ。無数の蛇が死んでいる。
 一匹二匹どころではない。数十、いや数百にもなろうかという程の数の蛇が死んでいた。
 よほどの炎に包まれたのか、その大半は炭化して、辛うじて蛇だということだけがわかる。
 いや、蛇だけではない。百足や蜘蛛といった毒虫たちも、蛇と同様黒焦げになって死んでいる。

 これは一体どういうことなのだろうか。
 戸惑いながらも私は考えた。思い当たるようなことは何も――いや、一つだけある。
 その時私はどんな表情をしたのだろうか。私の顔を覗き込む玉藻は、にやりと笑って口を開いた。

「この僕に喧嘩を売るたぁ、度胸だけは一流だったぜ? この“神様”はさァ」


 神は死んだ。どうやらそういうことらしい。

 禊の儀を終えて村に戻り、人々の前で私は静かに言葉を述べた。
 その内容は、ここに記載する必要もないだろう。


 あの後、少女は姿を消した。呆気に取られる私を残し、跡形もなく忽然と。
 全ては夢のようであり、全ては確かな現<うつつ>であった。「せっかくだからとっときな」と押し付けられた手ぬぐいを、私は密かに持ち帰り、自室の中に置いてきた。
 手ぬぐいを取った少女の頭には、作り物ではない獣の耳が二つ。
 少女が何者だったのか、今となっては確かめる術もない。ただ一つ言えるのは、あの子が人ならざる存在であったということ。
 それ以上は考えたところで、想像の一つも浮かばなかった。

 思えば私はこの時既に、今まで生きてきた理由がどうでもよくなっていたのだろう。今日のために私は生きてきたというのに、頭に浮かぶのは全く関係のないことばかりなのだから。


 私は生まれ故郷に別れを告げ、今こうして死出の道を歩いている。

 神が住まうという山には、苔やシダが生い茂り、辺りは湿気が満ちていた。
 絶えず聞こえるせせらぎが、静かな林に染み渡る。朝には騒がしかった山鳥たちは、一体どこに行ったのだろうか。鳴き声どころか羽音の一つも聞こえない。
 木々に覆われ薄暗く、草のにおいの空気は淀みなく新鮮で、そのくせ肌にまとわりつくように湿っている。
 赤、白、黄の色鮮やかな花はなく、目に映るのは緑と茶色、残るはせいぜい灰色くらいである。
 私が歩く小さな道は、山の奥へと続いている。このなだらかとは言えない坂道を、何人の巫女が踏み締めたのだろうか。
 二度と見ることのないだろう景色を眺めながら、時折は足を休めて自然の音に耳を傾けた。


 更に歩き続けることしばらく。私はようやく目指す場所へと辿り付いた。といってもここはその入り口に過ぎないのだが。
 すっかり冷え切った身体で見上げるのは、私の身の丈の二、三倍ほどの高さがある洞窟の入り口だ。夜闇より尚深い闇への玄関口。この先に疫病神が住んでいる。
 もちろん神の姿を実際に見たことはない。しかし一歩その内へと踏み入れれば、そこが異質な空間であるということは誰もが理解できるだろう。
 ここへの道で吸ったものとはあからさまに異なる淀んだ空気。むせかえるような硫黄のにおいには生理的な嫌悪を感じる。

 意を決し、私は一歩、また一歩と闇の奥へと足を進めた。外の光が遠のいて、徐々に足元すらもおぼつかなくなっていく。
 触れた岩の壁は冷たく、表面はぬるぬると湿っている。できることならすぐにでも手を離したいところだが、他に頼るものがない以上、文句を言ってはいられない。洞窟の中が平坦な道だったのは幸運だった。
 足元に気をつけながら、私はゆっくりと前に進む。ぽちゃん、ぽちゃん、と響く水滴の音さえも、今は不思議と頼もしい。視界が無いというのがこれほど心細いものなのかと、今さらながらに私は思った。


 自分が目を開けているのか閉じているのかすらもわからない暗闇を、一体どれほど進んだだろうか。それは唐突にあらわれた。

 闇の中にふわふわ漂う、火花のような小さい光。一瞬錯覚かと思ったそれは、淡いながらも消える様子はなかった。
 微かな光を目指して歩くと、蛍の光のようなそれは、二つ三つと数を増していく。月明かりよりも遥かに弱いが、しかしその光は確かに私の進む道を照らしていた。
 氷のように冷たい壁から手を離し、わずかに戻った視界を頼りに歩いていく。

 やがて開けた場所に出た。そこは私が暮らしていた邸が、そのまま一つ入るくらいに巨大な空洞だった。
 見上げるほど高い天井には、無数の光が秋空を飛ぶトンボのように舞っている。いや、それはよく見るとただの光ではなかった。それは小さな炎だった。
 音も立てずにゆらゆらゆらゆら、松明のように踊る炎が辺りを照らす。
 しめった岩肌は苔むして、かすかに水のせせらぎが聞こえる。それに混ざって響くのは、どこからか吹いてくる風の鳴き声。

 立ち尽くす私の視線は、それらの中央に向いていた。
 うずたかく積もった、なんだかよくわからない燃えカスのようなもの。その丘の上に、きらきらと輝くその姿はあった。
 “ない胸”の前で腕組みをし、えらそうにふんぞりかえった小柄な少女。
 無意識のうちに、私は笑みを浮かべていた。
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